かすかな兆しを、迎え入れる
春は、ある日突然やってくるわけではありません。
街を歩いていて、ふと風がやわらかくなる。
夕暮れの澄んだ空気に、かすかなぬくもりが混じる。
私たちは、そんな小さな変化のなかに、春の訪れを感じます。
八百年以上前。
そんな「兆し」を、ひとつの歌のなかに鮮やかに捉えた歌人がいました。
平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた皇女、式子内親王です。
彼女が残した一首の和歌があります。
色つぼむ梅の木の間に夕月夜
はるのひかりを見せそむるかな
この歌には、まだ誰の目にも明らかな春の姿はありません。
式子内親王が見つめているのは、まだ開かない梅の蕾です。
硬い殻に包まれた、小さく閉ざされた蕾。
梅は、まだ咲いていません。
蕾がほころび、花びらが姿を見せているわけでもありません。
春と呼ぶには、あまりに微細な変化です。
目に見えぬ蕾の奥に、かすかな色が生まれた。
式子は、その「始まりの先端」を捉えます。
世界はまだ、冬のままです。
けれど、その小さな一点では、すでに春が始まっている。
そして視線を上げると、その枝々の向こうに、夕月がひっそりと浮かんでいる。
ここに、この歌の不思議で、とても美しい空間が立ち現れます。
冬の夕月は、凛として冷たい。
温かな春を告げてなどいません。
しかし、その冷たいはずの月の光が、蕾をたたえた梅の木を通して届く。
そのとき、光の性質がふっと変わります。
「はるのひかりを見せそむるかな」
蕾の内には、まだ外へ現れていない色がある。
その梅の枝々の間に、夕月の光が重なる。
そのとき、月の光は春を宿す。
式子内親王は、蕾の奥に生じた小さな変化を夕月と結びつけることで、歌の空間に春を立ち上げていくのです。
私たちは、すでに形になったものに目を向けがちです。
目に見える変化。
誰の目にも明らかな出来事。
たしかな事実。
けれど、世界には、まだ意味をもたない小さな兆しが、絶えず生まれています。
まだ大きな意味をもたず、それだけでは何も変えないように見えるもの。
式子内親王にとって、それは「色つぼむ梅」でした。
蕾の奥に生まれた、わずかな色。
その小さな兆しが、冬の夕月と交差する。
すると、冷たかったはずの月が「春のひかり」を帯び、そこに春という新しい世界が立ち上がります。
世界は、確定した事実だけでできているわけではありません。
いま、この世界に生まれている小さな兆しを見つけること。
そして、それを、ほかの何かと交差させてみること。
まだない世界は、そんなところから始まるのかもしれません。