人が人となる、ということ

いま、あなたが立っている場所は、どのくらい居心地がいいでしょうか。

人は誰も、「何者でもない存在」として、この世界に生まれます。
生まれる場所を選べず、気がつけば、その中に置かれています。

赤ん坊のころは、誰かのケアなしには生きられず、誰かに支えられながら、やっと大人になっていきます。
そして大人になると、今度はその場所を「つくる側」になることを、期待されるようになります。

でも、いったいどうやって? 
大人になっても、世界について、たいして知りもしないというのに。

哲学者チャールズ・テイラーは、現代人が抱える三つの不安を語っています。

ひとつは、伝統や共同体から切り離され、自分にしか関心が向かなくなること。
もうひとつは、人生の意味や深みが失われ、「役に立つかどうか」だけが物差しになってしまうこと。
そして最後に、社会が巨大な機械のように見えて、自分が小さく無力に感じられること。

テイラーの言葉は、とても大切なことを教えてくれます。
――小さく無力だと感じているのは自分ひとりではない、ということです。
みな、世界に居場所を感じられず、人生に意味を見出すことができない。

本当に危ういのは、こうした不安から逃げるために、「考えること」をやめてしまうことです。
そして、自分より大きく見えるものに依存し、安心しようとする。
他者を貶めたり、誰かを切り捨てることで、自分を守ろうとする。

そのような「インスタントな対処法」は、一時的にはいいかもしれませんが、本当の意味で不安を消し去ってはくれません。

テイラーはこう助言してくれます。
「自分に誠実であろうと、考えつづけなさい」と。

不安に対処する方法は、自分にとって本物であることを選び直し、それを引き受けること。
それは同時に、隣にいる誰かもまた、同じように不安と向き合いながら、誠実さを探している存在だと気づくことです。

互いの尊厳を認め合い、守り合い、自分と他者のために行動していく。
それが、「自分たちの居場所」をつくるということです。

完璧に居心地のよい場所は、きっと存在しません。
それでも、私たちは少しずつ、隣人とともに居心地のよい場を育てていくことができる。
そのためのヒントは、自分の選択が誠実であるか、それが「誰かを貶めていないか」を問うことです。
そうやって人は少しずつ、自分と他者の居場所を支える側へと成長していきます。

教育学は、「人が人になっていく過程」を見つめる学問です。
不安に立ちすくみながらも、誠実であろうとし、隣人の尊厳と意味を考えつづける営みです。
「人が人になる」ことは、一度きりの出来事ではありません。
私たちは生涯をかけて、安易な不安の対処法にとびつかない勇気を、学びつづけていくのです。

執筆:坂口緑(教育学)